「こんなこと言う資格あるのかな」という不安

「自分なんかが、こんなこと言っていいのかな」

書きかけの文章を、何度も消しました。

まだ大した実績もない。
すごい成果を出したわけでもない。
誰かに教えられるほど、できているわけでもない。

それなのに、こんなことを書いていいのか。

昔の僕は、ずっとそこで止まっていました。

文章を書こうとする。
でも、途中で手が止まる。
「これ、偉そうに見えないかな」と思う。
「お前が言うな」と思われそうで怖くなる。
そして、下書きを消す。

何度もそれを繰り返していました。

発信したい気持ちはある。
でも、語る資格がない気がする。

昔の僕を、いちばん止めていたのがこの不安でした。

今日は「こんなこと言う資格あるのかな」と思って発信できない人へ向けて書きます。

目次

資格を待っていると、一生始められない

「もっとちゃんとした人になってから発信しよう」

昔の僕は、そう思っていました。

もっと実績が出たら。
もっと詳しくなったら。
もっと自信がついたら。
もっと堂々と言えるようになったら。

そのとき発信しよう。

でも、その「ちゃんとした自分」は、いつまで経っても来ませんでした。

少し学べば、もっと上の人が見える。
少し進めば、まだ足りないところが見える。
少し結果が出ても、「この程度で語っていいのか」と思う。

どこまで行っても、完璧な資格なんて手に入りません。

資格を待つほど、スタートは遠ざかります。

もちろん、知らないことを知ったふりで語るのは違います。
できてもいないことを、大きく見せるのも違います。
経験していないことを、わかったように話すのも違います。

でも、自分が実際に悩んだこと。
試してみたこと。
少しだけ抜け出せたこと。
その途中で気づいたこと。

それなら、今の自分でも書けます。

完璧な先生になってからではなく、今いる場所から書いていい。

ここに気づくまで、かなり時間がかかりました。

少し先を歩いているだけで、価値がある

教えられるのは、頂点に立った人だけではありません。

すごい実績がある人。
大きな成果を出した人。
何年も経験している人。

もちろん、そういう人の言葉には価値があります。

でも、それだけが価値ではありません。

3歩先を歩いている人は、2歩目にいる人にとってかなり役に立ちます。

むしろ、近い距離にいる人の言葉のほうが届くことがあります。

まだ迷っていた感覚を覚えている。
どこでつまずくかがわかる。
何がわからなかったかを覚えている。
小さな一歩の重さを知っている。

これは、近い人だからこそ書けることです。

昔の僕は、すごい人の発信ばかり見て、自分には何も言えないと思っていました。

でも、すごい人の言葉が遠すぎることもあります。

正しいけれど、今の自分には大きすぎる。
成功しすぎていて、途中の苦しさが見えにくい。
自分とはステージが違いすぎて、真似できない。

そう感じることもありました。

その一方で、少し先を歩いている人の一言に救われることがありました。

「そこ、僕もつまずきました」
「最初はこれだけで大丈夫です」
「完璧にやろうとして止まっていました」

こういう言葉の方が、今の自分には効くことがあります。

だから、少し先を歩いているだけでも価値があります。

→ 近い人の話が効く理由は「メンターやコミュニティの選び方」にも書きました。

「教える」より「シェアする」

「教えなきゃ」と思うから、資格が気になります。

偉そうに見えないか。
上から目線にならないか。
間違っていたらどうしよう。
もっと詳しい人に突っ込まれたらどうしよう。

そう考えると、何も書けなくなります。

でも、発信は必ずしも「教える」だけではありません。

自分が試したことをシェアする。
自分がつまずいたことを書く。
自分が少しわかったことを残す。
自分の失敗から気づいたことを共有する。

それでいいです。

「これが正解です」と言い切る必要はありません。

「僕はこう感じました」
「僕の場合は、ここで止まっていました」
「今なら、こう考えています」
「同じ場所にいる人の参考になれば」

この温度で書けばいい。

体験のシェアに、立派な資格はいりません。

必要なのは、正直さです。

できていない自分を大きく見せない。
わかっていないことを、わかったふりで語らない。
自分がくぐった範囲から書く。

これなら、今の自分でも発信できます。

→ 体験を語る話は「ストーリーで語ると、なぜ伝わるのか」にもつながります。

その不安は、誠実さの証拠でもある

「こんなこと言う資格あるのかな」

そう悩める人は、たぶん雑な発信をしません。

少なくとも、何も考えずに大きなことを言う人ではありません。

相手にどう届くかを考えている。
偉そうに見えないか気にしている。
間違ったことを言いたくないと思っている。
自分を必要以上に大きく見せたくないと思っている。

その慎重さは、弱さだけではありません。

誠実さでもあります。

もちろん、慎重すぎて何も出せないなら、少し扱い方を変える必要があります。

でも、その不安そのものを否定しなくていいです。

むしろ、その不安があるから、言葉を丁寧に選べる。
自分の経験の範囲で書こうと思える。
読者に対して、過剰なことを言わずに済む。

不安がある人ほど、発信に向いている面もあります。

問題は、不安を感じることではありません。

その不安に、全部止められることです。

資格より、誰に何を届けたいか

発信に必要なのは、完璧な資格ではありません。

大きな実績だけでもありません。

それより大事なのは、

誰に向けて書いているのか。
何を届けたいのか。
自分のどの経験が、その人の役に立つのか。

ここです。

昔の自分に向けて書くなら、今の自分でも書けることがあります。

過去の自分が悩んでいたこと。
知っていたら少し楽だったこと。
遠回りして気づいたこと。
今ならこう考える、ということ。

それを正直に書く。

それで十分、誰かの役に立つ可能性があります。

資格がある人だけが、発信できるわけではありません。

少し先を歩く、正直な体験。

そこにも価値があります。

だから、「自分なんかが」と思ったときは、こう問い直してみてください。

自分は、誰に向けて書いているのか。
その人に、何を渡したいのか。
昔の自分なら、この言葉を必要としていなかったか。

そこに答えがあるなら、出していいと思います。

完璧な資格を待たなくていい。

今の自分が正直に書ける範囲から、始めればいいです。

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